バレーボール
バレーボール(英:volleyball)は
ネット越しにボールを打ち合う競技。
1チーム6人で行われる。日本語や漢字圏では
排球(はいきゅう)とされている。
バレーボールは1895年、バスケットボールに
向かない子ども、女性、高齢者も気軽に楽しめる
室内スポーツとしてアメリカ合衆国マサチューセッツ州ホリヨーク(Holyoke)のYMCAで当時25歳の
アスレティックディレクター
ウィリアム・G・モーガンによって考案された。
発祥の日は特定されていないが、元になった
「ミントン」が1895年の夏にYMCAキャンプ研修会で初めて紹介されていること、モーガンのホリヨーク着任が長男ルフス誕生(8月29日)より後
とされていること、モーガンのホリヨークへの転任が報じられているのが1895年10月のYMCA会報であること、10月23日の地元紙「ホリヨーク・デイリー・エクスプレス」にはモーガンの活動のことが
掲載されていること積雪により屋外で野球や
フットボールがプレー出来ない「冬季向け」の
ゲームとして考案されたことから、秋から冬と
考えられている。
当初の名称はMintonette(ミントネット)。
これは1895年、インドに派遣されていた
マッコノーイによって紹介された「ミントン」
(羽毛球を使った5人制のバドミントン)に由来する。
1896年7月、モーガンはこの新ゲームを
スプリングフィールドで開催された
YMCA体育指導者会議の際に公開した。
モーガンは当初このゲームをミントネット
(Mintonette、ミントンもどき)と名付けたが
後にハルステッド(YMCAトレーニングスクール教官)の提案を受け、名称をバレー・ボール
(ボレー・ボール、volley ball)に改めた。
バレーボールのバレーというのはテニスのボレー
(ボールを地面につく前に打ち返すこと)から来ている。1952年に現在のようにバレーボール(volleyball)
と1語で表すようになった。
ネットの高さは6フィート6インチ(198cm)だったが
1900年に7フィート6インチ(229cm)となった。
バレーボールは各地に点在するYMCAを通じて
アメリカ全土に広まっていき、1900年にカナダ、
1912年、アメリカでローテーションルールが導入された。
バレーボールの歴史において最大無二のルール変更は1912年にフィリピンで導入された
「3回以内に相手コートに返球」ルールであり
これによりバレーボールはレクリエーションから
競技スポーツに進化した。このルールはアメリカでも1917年、フィリピンに派遣されていた
E.ブラウンにより提案され、1922年までには導入された。また、今日あらゆるチームが実施している
「セット&スパイク」戦術は1916年にフィリピンで初めて実行された。