麻雀

麻雀(マージャン、英語:Mahjong)はテーブルゲームの一種。牌を使い、原則として4人で行われる。中国を起源とし、世界中でも親しまれている。

起源には諸説がある。紀元前6世紀頃、孔子が発明したという説もあるが有力ではない。

最も有力な説は中国・清の同治年間(1862年-1874年)に寧波の陳魚門が12世紀以前に存在した「葉子(馬弔・マーディアオ)というカードゲームと明代(1368-1644年)以前から存在した「骨牌」というドミノのような遊戯を合わせて「麻雀」を完成させたとするものである。

なお、葉子は欧州に伝わり、トランプとなったとも言われている。

語源については、上記の「馬弔(マーディアオ)」が日本に転訛して「麻雀(マージャン)」となったとされている。

1949年に中華人民共和国政府によって一旦、全てのギャンブルと共に禁止された。しかし、文化大革命終結後の改革開放に伴ってギャンブルでない麻雀は許されるようになり、1985年には禁止令が解除された。

日本人で初めて麻雀に言及したのはおそらく夏目漱石で、「満韓ところどころ」(1909年)に大連での見聞として「四人で博奕を打っていた。厚みも大きさも将棋の飛車角ぐらいに当たる札を五六十枚ほど四人で分けて、それを色々に並べかえて勝負を決していた」とある。実際の牌が日本に伝わったのは明治末期であって、大正中期以降はルール面において独自の変化を遂げつつ各地に広まっていったともいうが、一般に認知されるようになったのは関東大震災の後である。神楽坂のカフェー・プランタン文藝春秋菊池寛らが麻雀に熱中し、次第に雑誌等にも取り上げられるようになった。文藝春秋社では自ら麻雀牌を販売していた。

1929年3月21日、東京で初の麻雀全国大会が開かれ、350人が参加した。1930年7月10日、警視庁は麻雀屋の新設を禁止した(1930年5月現在937店)。

日中戦争開戦前の頃には東京都内に2000件の麻雀クラブがあったが、戦時色が濃くなるにつれて麻雀も下火とならざるを得なくなり、1942年の時点では230軒余と激減した。業者の団体は警視庁の指導に基づき同年9月1日より「麻雀」を「卓技」と名称を改め、東京卓技商業報国会を結成。健全娯楽化を目指した。

終戦後、再び麻雀は流行し始め、「途中リーチ」(現在の立直)・ドラなどを含めた新ルールが取り入れられるようになり、アレンジを加えられた日本式の麻雀(リーチ麻雀)が主流を占めるようになった。